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my dear eleven cats

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+1cat   ペッパーちゃん

前回の記事で、
我が家の11匹の猫さん全て紹介しました。


が、この猫まみれの、
最初の1歩になったきっかけの猫さんがいます。


2004年12月3日
5歳で逝ってしまった、私のペッパーちゃん。


+1cat   ペッパーちゃん_c0203488_1035459.jpg




ひでと、初めて飼い始めた猫さんです。


+1cat   ペッパーちゃん_c0203488_10355640.jpg



2004年12月3日の夜9時、ペッパーは逝きました。
もう2度と一緒に遊ぶこともできなければ
一緒のお布団で寝ることもありません。

帰ってきた私を迎えてくれることも
甘えて体をすり寄せてくることも
もう二度とありません。

11月中旬。
ペッパーの様子がおかしいのが気になりました。

もう少し早く病院に行っても同じだったかもしれません。
病気は治らなかったかもしれません。


『白血球が6万個あります。
人間でいう、『骨髄性白血病』です。
ウィルスは陰性なので、外からのばい菌とか感染ではありません。
もともとの血統上の問題で、生まれつき持っていたものかもしれません。』

血液検査の結果は衝撃的なものでした。
このまま放っておけば2、3日。
治療しても・・・

『骨髄液を調べて、がんの種類を特定すれば
抗がん剤の種類も特定できますが。
ただ、骨髄検査の為の麻酔も危険ですし、
液の検査も大学病院でしますから、結果がでるまでに
1週間ほどかかります。』

一度は連れ帰ったものの。。。
時間の猶予はありませんでした。

私達は抗がん剤治療を選択しました。
それが良かったのか悪かったのか。。。今でもわかりません。

入院手続きを済ませ、ペッパーを病院へ。
いつもなら全身の力で抵抗するはずのキャリーバックへも
すんなり入りました。
力が残っていなかったのでしょう。

でも私達の賭けが始まりました。
『抗がん剤は人間より、
猫ちゃんに劇的に効くことがあります。』
その言葉を信じて、奇跡を祈りました。

一度も私達の手から離れることなく毎日毎晩一緒にいたのに。
今夜からペッパーは病院です。
幸いそこの病院は1階が病院となっており、
2階3階が院長先生の自宅です。
ほぼ24時間体制で見てくれます。
それでも寂しくないようにと、いつも使っていた毛布を
ハサミで切り取りペッパーの下に敷いてあげるように頼みました。
私達にできることはそれだけでした。
あとは祈ること。

幸い、抗がん剤が効き、食欲が出てきたとのこと。
1週間の入院で毎日抗がん剤を投与し、様子を見て
食欲もありそうなら、退院できるとのこと。
毎日、朝と晩、お見舞いに行きました。
私はペッパーに会うと、涙ばかりが出てしまうので
院長先生のお話だけを聞きに行っていました。

何日目だったでしょうか。
旦那ひでと病院に行き、院長先生のお話も聞き、
ペッパーにも会いました。
小さなケージの中で必死にこちらを見つめていました。
一緒に帰りたいのでしょう。
あの顔を思い出すだけで涙が出ます。

これなら2、3日すれば退院できると思います。
安心して帰りました。
もうすぐペッパーが帰ってくる。
またマーブル君と一緒に遊べる。

その日の夜です。
病院から電話がありました。
急に元気が無くなり、ちょっと心配なのでレントゲンを撮りました。
腸がねじれてしまった状態(病名は忘れました)
そのため、食べたものが通らず、結果ご飯も食べれない。
肺にも少量ですが、水が溜まり始めています。
手術という手もありますが。。。。

聞きたくないお話でした。
そのときの私の動揺は言葉にできません。

あんなに小さな体で、手術には耐えられない。
麻酔だって危険かもしれない。
結局、手術はしないことにしました。
二人でそう決めました。

それはそのままで置けば直る確率はほとんどなし
ということです。

ひとつひとつ決めてきたことが、良かったのか悪かったのか。。
はっきり言ってわかりません。

その日から1週間後ペッパーは亡くなりました。

その間、「安楽死」について本気で考えました。
院長先生は私達の考えをいつも尊重してくださっていました。
ただ、いつも2つの選択肢をもっていろいろとお話してくださいました。
この「安楽死」についてもそうでした。
『そういう方法もあります。。。。』

苦しむペッパーを目の前にして、このままでいいのか。。。
本当に真剣に考えました。

しかし、どういう状態であろうとペッパーは今、
自分の力で確かに生きている。
それを私達が勝手にその命を絶っていいのか。。。。
いくら考えても答えはわかりません。

安楽死を選んだ人を攻めるつもりは全くありません。
その答えを出すときにきっと身を切るような覚悟で
決めたことでしょうから。。。
まさか自分がこの子を前にしてそんなことを考えなくてはならない
状況になるなんて、考えもしませんでした。




ペッパーがいなくなる。。。
こんなにいい子がいなくなる。

夫婦で初めて飼った猫ちゃん。
お誕生日に買ってもらった。
ガラスケースの向こうでちっちゃな体を震わせるようにして
一生懸命ご飯を食べてた。
手のひらに乗るほどの小さな猫ちゃん。
アメリカンショートヘアーにも黒い猫ちゃんがいるんだね。
と言いながら、あえてその猫にしました。
黒猫ちゃんに思い出がありましたから。
このことは今は書きませんが、また機会があったら書くことにして。

メジャーなシルバータビーに比べるとちょっと見劣りがした
不細工な黒猫。
この1匹の黒猫は私たち夫婦の生活を一変させました。
猫中心の生活になりました。
楽しい思い出をたくさん残してくれました。
たった5年間しか生きることができなかったペッパー。
もし最初から、この病気を持っていたとわかっていたとしても
それでもペッパーを飼っていたかもしれません。

最後の1週間は食べることはおろか、息をするのも苦しそうで、
ゆっくり眠ることもできなかったペッパー。
ときどきスプーンでお水を飲ませてあげること。
そして体を撫でてあげること。それしかしてあげれなかった。
マーブルくんもずっとそばにいた。
そばで寝ていた。
いつもなら、一緒にじゃれあって遊んでいたのに。
時には寝てるところにちょっかいを出していたマーブル。
それさえもせずにマーブルはじっとそばにいました。
ペッパーのことを一番わかっていたのかもしれません。

夜9時。
ペッパーは亡くなりました。
最後に一声ないて。。。
なんと言ったのか、何を言いたかったのか。
それは今でもわかりません。
あえて、人間の言葉に置き換えようとも思いません。

ペッパーの亡骸と
最後の夜を一緒にすごしました。
暖かい毛布にくるんで。。。。
それでもペッパーの体は硬く冷たかった。

その年1番の冷え込んだ日。
いつ雪が降ってきてもおかしくない程冷えていました。
空もどんよりしていました。
朝一番、
この日ペッパーは煙になってお空に登っていきました。

骨だけになったペッパー。
骨壷に入ったペッパーは生きているときより重かった。
小さかったペッパーは2キロちょっとしかありませんでした。
もともと弱かったのかもしれません。

その日の午後から1週間。
私はマーブルと2人だけの夜を過ごしました。


ペッパーのことは忘れません。
by eleven-cats | 2009-09-17 10:41 | introduce cats